ビール片手に花見する国で ── ベルギーの桜便り

夕日に染まるブリュッセルの桜並木、満開の八重桜と歴史ある街並みが織りなす春のひととき

◆ベルギーに桜はあるの?

春になると、決まって聞かれる質問があります。
「ヨーロッパにも桜ってあるの?」
もちろん、あります。それも、きっと思っている以上に。

欧州の古い街並みに、あの華やかなピンクは驚くほどよく似合います。こちらで多く見かけるのは、花びらが幾重にも重なる八重桜です。

たとえばブリュッセル北部に位置するスハールベーク(Schaerbeek)では、ラウンドアバウトを中心に、四方へと見応えのある桜並木が広がっています。

ベルギー・ブリュッセルのスハールベーク地区に広がる桜並木の風景。春の花見スポットとして人気。

なかでもエミール・マクス通り(Avenue Émile Max)には、往時の建築美が今もなお大切に受け継がれています。

植物をモチーフにしたアール・ヌーヴォーの装飾と、幾何学的なアール・デコの輪郭。その両者が時代の移ろいを映しながら、調和した美しい街並みを創っています。

ブリュッセルの閑静な住宅街に咲く満開の八重桜、春の青空と桜並木が織りなす風景。

ベルギー・ブリュッセルのスハールベーク地区、桜並木が続くエミール・マックス通りとアール・ヌーヴォー建築の街並み

1900年頃のブリュッセル・スハールベーク地区エミール・マクス通りの街並み。アール・ヌーヴォー建築と石畳の道が写る歴史的風景

出典:Inventaire du Patrimoine Architectural – Région de Bruxelles-Capitale
画像:Avenue Émile Max(Schaerbeek) circa 1900
https://monument.heritage.brussels

そんな趣ある通りに満開の八重桜が加わると、まるで絵本の中に迷い込んだかのような景色が現れます。

カフェのテラスでビールを片手にお花見を楽しむ──街路樹の桜が彩る、ベルギーらしい春のひとときです。

 


◆月夜に咲く紅桜白桜

接ぎ木された桜の木、一本の幹から咲く八重桜と白い一重の花、春の夕暮れと月の空

こちらは、公園の一角で偶然見つけた一本の桜の木。

幹は一本なのに、濃いピンクと白、二色の花が咲いていました。まるで二本の桜が一体になっているような、不思議な光景です。

根本に咲いていたのは八重桜で、おそらくカンザン(関山)という品種と思われます。一方、上の方には白く一重の花が咲いており、葉の細さや色づき方から、ベニバスモモの特徴にも似ているように感じました。

どうやらこの木は、八重桜にスモモ類を接ぎ木して作られた特別な桜のようです。

先週まで木々が生い茂り、公園はすっかり隠れていました。けれど今年は開花に合わせるように垣根が刈られ、夕暮れの中、その桜がふと目に留まったのです。

三日月の下で花と静けさが交差した、一瞬の春のご馳走でした。

 

 

◆桜の森の満開の下

多くの日本人が「桜」と聞いてまず思い浮かべるのは、やはりソメイヨシノでしょう。

霞のように広がる白と、今にも消えてしまいそうな透明感を前にすると、夢と現のあわいをたゆたうような心持ちになるものです

桜の森を舞台にした物語といえば、坂口安吾の短編が思い出されます。
そこに描かれる「美にひそむ狂気」は、今なお読む者を静かに揺さぶります。

彼ははじめて四方を見廻しました。頭上に花がありました。その下にひっそりと無限の虚空がみちていました。ひそひそと花が降ります。(中略)
彼の手の下には降りつもった花びらばかりで、女の姿は掻き消えて、ただ幾つかの花びらになっていました。…あとに花びらと、冷たい虚空がはりつめているばかりでした。
──坂口安吾『桜の森の満開の下』

可憐な花に似合わない、無骨で乾いた幹と枝。
どこかエゴン・シーレが描いた少女のような、華奢で歪な身体の線を思わせます。
それがまた一層、桜の艶かしさを引き立てているのかもしれません。

ベルギーのカフェの賑わいに包まれ、朗らかな八重桜を眺めながら、ふと心に浮かんだのは──東京の夜に咲くソメイヨシノの、儚くも妖しい美しさでした。

 

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